ホリスティック(holistic)はギリシャ語の”holos”を語源とした英単語で、「全体的な」という意味の言葉。「ホリスティック」という言葉のルーツを探ると、この「全体的な」という言葉が本当に意図するところが見えてきます。
「ホリスティック」の元の言葉は「ホリズム(holism)」という名詞で、和訳すると「全体論」という意味。ホリズム的なという意味の「ホリスティック」はその形容詞にあたります。この「ホリズム」という言葉を造ったJan Smuts氏は、「ホリズム」をこう表現しています。
「「全体」とは、部分、部分を足した総和以上のものだ」
この考え方は、つまり、身体の部分部分を単純に足して身体が出来ているのではなく、身体全体とはその総和以上のものとなっているという考え方です。
つまりは、こんな考え方。
身体は、身体を構成している各臓器が、現実世界ではそれぞれに独立して存在していることはなく、それぞれが集合した「身体」という形で存在していて、その「身体」では、各臓器同士が繋がり合い、関係し合いながら作り上げているもの。その総和となっている「身体」とは、部位を単純に足したもの以上の存在である、という考え方です。さらには、「身体」から一歩先を見てみると、身体は、それ単体のみで存在しているわけではありません。住んでいる環境、生活環境、家庭環境、社会での関わり、そんな全てとの繋がりの中にある存在だということを認識して包括的に捉えている考え方なのです。
これが、ホリスティックに個人を捉える自然療法の考え方。
ここまでは少し抽象的で難しいお話でしたが、では「全体的」に身体を捉えるとは、実際どういうことなのか?
私たちはそれぞれに
色々な環境で育ち
色々な考えのクセを持ち
色々な食事
個々に違うメンタル状態
ストレスレベルなどなど
一人ひとり異なる状態に日々ありますね
そんな積み重ねを、毎日毎日しています
この積み重ねの結晶が私たちだとするならば、個々で状態が違ってくるのも理解できるというもの。そんな中で生まれてくる「乱れ」、「不調」は、いろいろな形で現れます。
ホルモンバランスかもしれないし
頭痛かもしれない
おなかの調子の悪さかもしれないし
睡眠に影響がでてるかもしれない
疲れとして現れているかもしれないし
代謝が悪い状態として出ているかもしれない
イライラしやすくなっているかもしれないし
肌荒れが治らないという状態かもしれない
はたまた
それらが複雑に絡み合っていて
なんか調子が今一つ・・・という状態かもしれない
こうやって集約された「今」の身体の状態は絡まった糸の塊のよう。
一見して同じ様な状態に見えていたとしても、その塊の背景とルーツをみていくと、同じである事は少なく、例えば東洋医学でもこの考え方が根底にありますが、同じ「疲れ」という形で現れていたとしても処方される漢方薬が異なるのは、このような理由からです。
自然療法(ナチュロパシー)では、
どこからほどいていくのか?
どうするとほどけるのか?
身体の仕組みはどうなっているのか?
などを
ホリスティックな視点で説明し、
それに基づくアドバイスをするのが、自然療法士(ナチュロパス)
そのアドバイスを、実行するのがクライアントです。
病気をしたとき、不調があるとき、通常私たちはその身体の部位にフォーカスして考えます。その部分がどう悪いのか?たとえば、「炎症」という患部の状態変化が起きているから、など。このような考え方を基に西洋医学は発展してきました。その「部分」を深堀し究明することで、メカニズムの解明に繋がっていて、この「部分」を見るという還元主義的な考え方は大切で意味のある事です。それと同じくらい大切なのが、「全体」を見るということ。
それぞれの部分がどのように関係しているのか、またそこからどのような全体像になっているのか?そう捉えていくと、視野が広がり、把握出来る事、施せる事の選択肢を豊かにすることができる。ホリスティックに捉えるとは、そんなことを可能にする考え方なのです。